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最近、思うこと 


多くの建物の解体工事が進んでいます。

マリンパル解体終了間近

迷路のような町がなくなり
ただの広い、閑散とした
元マチが広がってきました。

建物がなくなって、
町が小さくなったように思います。

見晴らしがよくなり
中心部を車で走っていて
町のいたるところから”海”が
見えるようになりました。

『海ってこんなに近いところにあったんだ』
とつくづく思います。

見通しが良くなり、建物が少なくなったせいで
町中、電柱ばかり立てているのがやたらと目に付きます。
『こんなに必要なのか・・・』と

車を運転しながら、ビデオ撮影している方・・・
どうぞお気をつけください。
わき見運転は危険です。

OMG

横倒しになったビルの前で
ピースしながら記念写真を撮っている方もいます。
地元に住む一人として
なんとも言いようのない気持ちになります。

we love onagawa

[edit]

女川町復幸祭 


女川のホットな話題を
クールに演出!!


イーガーショーが新キャラ登場で
さらにパワーアップ!!

昨日、3月18日に行われた『女川町商店街復幸祭』
数々のステージイベントが女川町総合体育館で繰り広げられ
中でもリアスの戦士☆イーガーショーはほぼ満席の中
小さなお友達から大きなお友達まで約45分のステージを楽しみました。

熱気あふれるステージにちびっ子熱狂

女川町の復興を邪魔しようとする
ワルワル団率いるクララーゲを
正義の戦士・イーガーが阻止するという
シンプルなストーリーではあるがホットな地元ネタ満載のステージに
町民はもとより観客みんなが引き込まれていきます。

女川の町はオイが守る!リアスの戦士☆イーガー

今回のステージでは新キャラも登場して
イーガーショーがさらにパワーアップ!!

新ヒーローキャラ『黒潮戦士★センガーイッキ』
新ヒーローキャラ『黒潮戦士★センガーイッキ』

カナダから女川町にボランティアできた際、クララーゲにスカウトされワルワル団に入れられた『カラスガレイ怪人*エンガーワ』
新ワルキャラ『カラスガレイ怪人*エンガーワ』

リアスの戦士☆イーガーショーより
ハラハラ・ドキドキのショーにみんなはまります。
最後はイーガーのギンジャ剣とウミネコ5段蹴りで
女川復興への道は守られたのでした。

ショーが終わった後は恒例の撮影会です。
会を増すごとにファンが増えてきています。

小さなお友達と撮影会1

小さなお友達と撮影会2

大きなお友達と撮影会1

大きなお友達と撮影会2

多くの皆様にお越しいただきました
女川町商店街復幸祭
本当にありがとうございました。

まだまだ復幸へは遠い道のりですが
少しずつ前に進んでいる女川町を
これからも応援よろしくお願いいたします。

[edit]

女川町商店街復幸祭 3月18日開催! 


イベントのチラシを入手いたしましたのでアップさせていただきます。

女川町商店街復幸祭 チラシ表
チラシ表

女川町商店街復幸祭 チラシ裏
チラシ裏

もっと詳しく知りたい方はHPもご覧ください。
  ↓↓↓↓↓
 女川町商店街復幸祭
~希望の鐘を鳴らそう~


多くの皆様のお越しをお待ちいたしております!

[edit]

震災発生後、2日目のワタクシ 

 
 夜が明けた。

 東の空がオレンジ色にかがやき始め、海は昨日までの強い西風がパタッと止まり、べた凪。かすかに漂う油の匂い。第52清水丸の周辺には同じ海域で過ごした船がいたほか、すでに多くのがれきが流れていた。
朝、6時、第52清水丸は自分たちの定置網の状況を確認に行くとのことで、船を近くにいた『ベガ』につけてもらい、ワタクシはカヌーとともに『ベガ』に乗り込んだ。

 『アルティア』は昨夜のうちにプロペラ2つとも流れてきたロープに絡まっていて、自力での航行は不可能だった。『ベガ』と『アルティア』はお互いを20mほどの長さのロープで結ばっていたが、ワタクシと船員4名、全員で集まって今後のことを話すため、ロープの間隔を縮め、2隻をぴったりと抱かせあった。船内には電気ポットがあるので、温かいインスタントコーヒーを飲むことができた。コーヒーを飲みながら全員の無事を喜ぶとともに昨日の津波のすごさをみんなそれぞれに興奮気味に語った。そして安否の分からない事務所のみんなのこと、もちろん家族のことを心配した。まったく分からないが女川港の現状を想像するにその不安は大きくなるばかりだった。またその不安をあおるようにNHKラジオからは『南三陸町と女川町は壊滅』という言葉だけが繰り返し聞かれた。ワタクシは責任者として皆と船を安全に港に戻すことを考え物事を進めなくてはならかった。

2隻を抱かせて

 『防波堤が残っているならば、女川港はがれきに埋め尽くされ、港に帰れる見込みは無い。かなり長期戦になると思う。できるだけ燃料を残しておきたいので2隻のメインエンジンを切るように。燃料と清水の残量を確認するように。もう少し状況が分かるまでこの場所に待機すること。』を皆にお願いした。2隻のエンジンは切られ、最低限の電気を確保するために発電機だけはつけておくことにした。燃料は2隻で約4500ℓ、清水(飲める水)は全部で約2000ℓの残量が報告された。このときワタクシは7~10日間は洋上で過ごすことができると判断し、K船長に相談した。
『部長!奥さんのこと心配でないのか!みんな家族のことが心配でしょうがないんだ!』
『でも、K船長。この状況じゃ帰れないよ。もしベガが次ぎプロペラにロープ絡めたら俺たち沖に流されるだけだぜ。』K船長は黙った。
女川の町からは次々とがれきが流れてくる。この流れてくるがれきをよけながら女川港に戻るのは絶対、不可能にみえた。船員さんたちの家族を思う気持ちはよく分かる。ただ現状、女川港に入るのは無理だった。

ただようがれき

 長期戦に備え、食料のことも考えなければならなかった。船内には昨日もらった大量のいわし、金華山で取った”まつも””ふのり”、ウミネコの餌付け用かっぱえびせん(小)2箱があるのでまずは足のはやい”いわし”を干物にしようとY船長とワタクシで保存食を作りはじめた。『しまなぎ』には何も食べるものがないとの無線連絡があり、”かっぱえびせん”1箱を分けてあげることにした。『しまなぎ』にはAY船長、M機関長、Sさん、Tさんが乗り込んでいた。食料に関しては割りと楽観的なところがあった。どの船にも釣竿は積んでいるし、船員は皆、漁船に乗っていた経験もあるので、いざとなれば釣った魚を食べればよかった。海面に漂っていたのはがれきだけではなかった。ふと見ると東洋冷凍の工場から流れてきたとみられる『ちくわ磯辺まき』が一袋流れてきた。ワタクシはさおの先にカギのついたもので引っ掛け、食べられないか袋を開けてみてみた。多少ふやけてでろでろって感じと若干、重油くさい臭いはしたが、マグカップに入れ熱湯を注ぎスープみたいにして飲んだ。おいしかったので近くにいて興味深々それをみていたHさんに勧めたが、『そったらもん、食えるか』と一蹴された。

油タンク

 女川の石浜にあったの大きな油タンクが流れてきた。あたりはもれている油のせいで海面が異常にぎらぎらして臭いもすごかった。何千ℓ入るのか分からないが目の前を流れていく油タンクを目の当たりにしてその異様な光景にただただ沖のほうに流れていくタンクを見守った。全長6mくらいの小さな和船が2隻流れていた。もしかしたら中に人がいるかもしれないと『ベガ』のエンジンを掛け近寄ってみた。近寄ってすぐに無人だと分かった。どこかの浜からか流されたのであろう。乗り移り船尾についている船外機を回してみたがエンジンはかからなかった。もしエンジンがかかれば港内の様子を見に行けると思い、しばらくやってみたがどうにもだめでそのまま沖に流すことにした。同じようにもう一隻、漂流している船にも近づき”偵察用ボート”にならないかやってみたがもう一隻の船も使い物にならず、そのまま漂流させた。

 あの大きな油タンクが流れていくのをみたときから、もしかしたら『女川防波堤』がないかもしれないという気持ちはあった。ただ”あの防波堤”が津波でなくなるのは考えがたいことだった。海は穏やかで海面に浮かぶがれきがどこにあるかひと目で分かるほど凪いでいた。お昼ころ、朝と比べると流れてくるがれきの量がかなり減ってきたので、”防波堤が見えるところ”まで移動することにした。海面に浮かんでいるがれきはもちろんだが、中間浮力で水面下に漂っているロープや屋根の防水シートだろうかプラスチック系のがれきも多く見えていたので、船首に2人、見張りを立たせて最微速で『ベガ』を笠貝島の沖合いから寺間の南東沖に向け進路を取った。『アルティア』を『ベガ』の船尾から引っ張り、そのあとを『しまなぎ』がついてくる格好となって、ところどころにあるがれきのかたまりをくねくねとよけながら進んだ。

一列になって

 がれきをよけながらゆっくり進むこと約4時間。肉眼で見ても双眼鏡で見ても間違いなく”女川防波堤”はなくなっていた。船員にもワタクシにも”帰れる”という明るい希望が見えてきたと同時に現実を直視するという瞬間だった。防波堤のあったところをGPSで確認しながら、今まで船が走ってきたGPS上の航跡を頼りに今はなき『女川防波堤』を通過した。船員は見慣れた景色ではあったが、津波でまるっきり違う”いつもの風景”を驚きの声を上げながら津波でめちゃくちゃになった女川の町を見ていた。夕闇が迫りつつある時間になり、一旦、2隻を女川観光桟橋に接岸させることにした。このとき『しまなぎ』はまだ大津波警報が解除されていないことと小回りが利かないこともあり防波堤よりも沖の桐が崎沖に停泊することにしていた。2隻を桟橋につけると、そこはまだ水が完全に引いたわけではなく、ややもすると桟橋全体が水没しそうな感じだった。

マリンパル前に接岸

 船員を船に残して、我が家のあった場所にひとり行ってみた。思ったとおりそこに我が家はなく、ただがれきが一帯を覆いつくしているだけで何もなかった。自然とひざが崩れ、妻と猫の名前を泣きながら叫んではみたが、だれもそれに答えてはくれなかった。ここに来るまでにご近所さんの家もみな流されていた。『我が家だけではない』という気持ちが働き、わりと冷静でいられた。立ち上がり、その足でマリンパルⅡの古母里に向かった。マスターのMさんは前のチリ津波のとき『今度、大きな津波が来たときにはこの厨房からにげない』といっていたからだ。暗くなった厨房でMさんの名前を呼んでも返事はなかった。みんな死んだと思った。

我が家跡

 船に戻る途中に、ビニール袋を持った中年の男性に出会った。石巻から歩いてきたらしい。チラ見しただけだから定かではないがビニール袋の中には歯ブラシとお菓子のようなものが入っていたように見えた。『女川・石巻沿岸はめちゃくちゃだ。総体に行けば生き残った人がいっぱいいるよ』と教えてくれた。これからだと暗くなって危ないので、急いで船に戻り、懐中電灯をもって、Yさんと2人で総体まで歩いていくことにした。がれきで覆いつくされた町を不思議な気持ちで歩いた。彼の言った言葉を裏付けるかのようにがれきに覆われてはいても、総体に向かって明らかに多くの人が歩いた跡がはっきりと残っていた。女川第2小のところでがれきはなくなった。急に何事もなかったような今までと変わらぬ景色に変わった。総体へ続く坂道を登っていくと体育館前ではテキヤテントが立ち並び裸電球も点いていて『お祭り』のような”賑わい”だった。本当に多くの人々が助かっていたのだ。奇跡だと思った。体育館の入り口に『生存者名簿』があった。長机に何冊も置かれたノートには行政区ごとに分けられ、そのページそれぞれに直筆で書かれた名前だけがずらーっと並んでいた。我が家のあった黄金区を探し出すとすぐに妻の名前を見つけた。涙もろいわけではないが自然と涙があふれてきた。妻の名前の下にワタクシの名前を書き入れた。今でも後悔しているがあの時、ワタクシの名前の他に”愛してるよ”くらい書いておけばよかったと・・・。ノートには今も船にいる船員の名前も記した。家族が来て見つけやすいように白紙のページに船名、船員名を順に書き、その場を後にした。妻には一刻も早く会いたかったが2500名ほどいる中から探し出すには時間がなかった。Y船長とすぐに船に戻ったが真っ暗で街灯もないがれきの町を懐中電灯だけで歩くのは困難だった。桟橋に着くと水位は上がっていて、くるぶしくらいまで海水につかるような状態だった。安全に船を着岸しておける状態でなかったので、女川港内に錨を下ろし、その夜も船で寝ることにした。風もない、ゆれることもない、とても静かな夜だった。

[edit]

忘れられない1日 

 
 あの日のことは不思議とよく覚えている。
でもいつか記憶はあいまいになり、いいことは美化され
都合の悪いことは忘れようとする回路が働き、違った記憶になると思い、
あの日のことを書きとめておくことにした。




平成23年3月11日 東日本大震災 発生当日 

 何気ない一日が、いつもどおり始まった。

 朝起きて、2匹の猫、金貨と小判に餌をやり、7:30分に出社。
8時朝礼。当日の予約の確認など皆で行なった。
事務員、ワタクシとNさん。船員、Kさん、Yさん、Hさん、Sさん。
そうこうしている内、泉沢水産の定置網漁から帰ってきた船が、20リットルのバケツに
いっぱい入った”いわし”をもらった。あとで分けるつもりで『ベガ』に積み込んだ。

3・11朝の女川港
いつも通りの朝が始まった女川3・11

 いつもどおり朝、ブログを書き、金華山行き1便、9:30を送り出した。
Nさんに銀行に行ってもらうようにお願いし、ワタクシは10時45分に漁協さんにてOさんと合流してワタクシのヨットとヨットクラブの艇の係留料を支払う手続きを行いに行った。漁協さんでは塚浜のSさんがいて世間話をした。手続きを終え、会社事務所には11時30分頃に戻った。(後にOさんは家ごと流され、屋根にまたがって女川湾を漂流しているところを塚浜のSさんの船に救助された。)

 金華山行き2便は13:00発。お客さんは乗っていなかったが、15:15分塚浜発女川湾内遊覧が予約されていたので、金華山行き『アルティア』を定時に出航させた。
このとき船員Sさんは『ベガ』の整備のため女川桟橋に残った。
 この便にワタクシも乗り込みいつもどおり湾内遊覧の船内ガイドをするつもりであった。
13:35金華山港に到着。船員総出で桟橋周辺の”まつも””ふのり”をむしりとった。船員3名とワタクシでとったのでビニール袋2袋、大量に取った。14:30金華山港を後にして、『アルティア』は塚浜港に向かった。

3.11金華山まつも
震災直前、金華山の岩場を覆う”まつも”

 14:46、塚浜港を目前にして、船体に『カタカタ』という小刻みな揺れを感じた。
『ロープ絡めたかな』と思った瞬間、ワタクシと船員全員の携帯電話がけたたましくバイブし、緊急地震速報を知らせるメールを受信するやいなや、塚浜、五部浦湾を取り囲む山々、出島周辺の山々が赤茶けた土ぼこりを巻き上げながら崩れていくのが分かった。と同時にべた凪だった海面は見渡す限り船体の『カタカタ』という振動に合わせてさざ波が立っていた。Kさんが『すぐに津波が来るから、ベガをとりに女川に戻る』とKさんは操船中の『アルティア』の舵を女川に戻るべく反転させた。

地震直後、山が崩れた
地震直後、周辺の山が崩れた

 ワタクシは事務所の神棚からお榊立てが落ちているのではないかと思い、
携帯で事務所を呼び出した。電話に出たNさんは『部長!大変なんです!岸壁が割れて落っこちています!』
ワタクシは唖然とした。それどころではなかったのだ。
悲鳴にも似た声から極度の興奮状態でいるのがすぐに分かったので、『中(事務所)はいいからとにかく高いところに逃げて』とだけ言って電話を切った。
電話を切って、船内ラジオをつけ情報収集し始めた。NHKのAMラジオからは6mの大津波が来ることを繰り返し伝えていた。
 『アルティア』はすでに女川港内、桟橋が見えるところまで来ていた。桟橋には沖出し準備が整った『しまなぎ』が出港の直前で、Sさんとシーパル女川汽船のYさんが『アルティア』のもやいをとってくれ、Kさんに『ベガ』はKさんとSさん、『アルティア』にはYさんとHさん手分けして2隻を沖出しするように指示し、すぐに出港させた。桟橋に残り『ベガ』の整備に残っていたSさんがすでに『ベガ』のエンジンをかけていてくれていたため、すぐに出航できた。このとき14時57,8分。

 ワタクシはこのとき初めてNさんが言っていた『岸壁が割れて落っこちている』状態を理解した。
岸壁の上にある、事務所は海に向かって傾き(倒壊はしていなかった。)、軽トラックは波打った岸壁の中に入り込み、動かせる状態ではなかった。もう一台の自動車はマリンパル女川シーパルⅠ前に停めていたが、被害は無く高台に避難させるべくワタクシは車を移動させようとマリンパルを左折、側溝から海水が噴出しているのを交わしつつ、七十七銀行を左折、野口自転車前を右折、バイパスに入ろうとしたところ、電柱が倒れて道をふさいでいて、引き返さざるをえなかった。
引き返すとき観光協会前で観光協会のMさんと電力のHさんに出会った。軽く手をあげただけの簡単な挨拶でその場を後にした。おんまえやの前を左折、かぐら前を右折バイパスに出た。100mも行かないうちに渋滞していて
梅丸新聞店さん前からは動く気配が無かったので、いしのまきやさん手前の小路に入って車を止めようと思ったが、見ると消火栓前だったので万が一の際を考え、また来た道を戻り渋滞している車列に戻った。1~2分だと思うがとてつもなく長い時間に感じた。ノロノロ渋滞の中、このまま保育所まで移動するのは無理と判断して、佐藤工業所のところにある会社の駐車場にいつもどおり車を止め、置いてあるMY自転車に乗って自宅へと戻った。そのとき熊谷酒店前でキューブに乗ったSさんに会い『いいかMっち、ヨットはあきらめろよ』と声をかけられ『はい』とだけ答えたが、内心『そんなことできるわけないじゃん』と自宅にあるカヌーを取りに戻った。

 アパート2階の我が家に入ると、靴箱、食器棚、冷蔵庫、すべてが倒れフロアに散乱。食器やコップがわれガラスの破片が飛び散っているのが分かった。 とっくに町立病院に避難していると思っていた妻がまだ家に残っていた。『金貨と小判が驚いて出てこないの』と妻。このとき町の防災無線で『大津波警報が発令されています。急いで高台に避難してください』という放送とけたたましい音のサイレンが鳴り響いていた。
妻は猫を捕まえられるまで逃げる気はなさそうだったので、家の中もガラスの破片が散乱していたし、寒さから身を守るためにも、『長靴、手袋を履いて、毛布などで体を保護するように、治まったら戻ってくるから。ここに居ろ。』と言い残しワタクシはライフジャケットを着てウォーターポロ用のカヌーとパドルを肩に担ぎ、自転車をこいでマリンパル前へと向かった。隣のスーパーおんまえやさんの従業員さん方が店を後に避難するため10数人道路に集合していた。

 マリンパルまではカヌーを担いでいても自転車で45秒。マリンパル・シーパルⅠのテラス上り口にカヌーを置き、2階のテラスに自転車を担いで階段を登り、津波が来ても自転車が流されないようにした。
すでに会社の従業員はみな、このテラスに避難していてI専務がいたので『ヨットに行ってきます。しばらくの間よろしくお願いします。』I専務は『分かった。気をつけてな。』といってワタクシを送り出した。このときまだこの辺には6mの津波が来るとばかり思っていた。

 カヌーを担いで岸壁まで走った。岸壁に立ちあせった。カヌーを降ろせる水位ではなかった。岸壁から3mほど下に海水面があった。カヌーを下ろしたとしてもそれに乗り込むのは不可能だった。ちょうど脇では泉沢水産の第52清水丸が沖出しするところだった。とっさにカヌーを清水丸に乗せ、ワタクシも船に飛び乗っていた。そこにいたH・I専務に『ヨットを逃がしたいんです。助けてください。』と懇願した。専務は『ばか言え!死ぬ気か!3時15分には10mを超える津波がくるんだ!おれたちもぎりぎりなんだ。ヨットはあきらめろ!』といわれ、ワタクシは『じゃ、ここでカヌーを下ろしてヨットにいきますから』と駄々をこねたが専務に『絶対にだめだ』と言われ何度となく同じように駄々をこねたが、第52清水丸は沖へ沖へと全速力で岸壁から遠ざかっていった。ワタクシのヨット『STORM』がどんどん船の後ろに小さくなっていくにつれ涙が止まらなくなった。そしてすぐに自責の念にかられた。人の船に勝手に乗り込み船長にわがまま言った自分が恥ずかしくなり、操舵室にいるH・I専務のところに行き、『さっきはわがまま言ってすみませんでした』と謝った。

 第52清水丸が女川防波堤に差しかかる前、石浜に停泊していたサルベージ船『かいこう』が沖出しのため出航していて、ワタクシの乗った第52清水丸の後ろ手についていた。4~5人ほどしか待機人員のいない『かいこう』がよく出航できたものだと感心した。全速で沖に向かう船から携帯で妻に何度となく電話をかけたがまったく通じず、無事に猫を捕まえて、高台の町立病院に逃げることができたのかわからずにいてとにかく心配であった。
寺間港の南側まで来たとき、先に沖出ししていた船が30隻ばかり漂泊していてその中に『ベガ』『アルティア』『しまなぎ』がいるのを確認した。発電所前、寺間港前を見ると引き潮なのか津波なのか渦を巻いているように見えたがワタクシの乗った第52清水丸がいる辺りは水深も深く、船の航行に支障があるほどではなかった。

沖出しする第52清水丸から
第52清水丸に続いて沖出しする『かいこう』 15:11

 そのときワタクシは自分の目を疑った。とてつもない大きな波が笠貝島にぶつかり海抜30~40mはあろうかその島にぶつかった波のしぶきで島が消えたように見えた。今までに見たこともない大きな波がワタクシたちが乗った船に向かって近づきつつあった。辺りにいた船はみな、その波を見て一斉に、さらにその波に向かって全速で走り始めた。デッキにいたMさんと名前は分からないが第53清水丸の船頭さんはライフジャケットを取りに船室に向かっていた。そのときの光景はあわびの開口、北海道の昆布取りの船がいっせいに沖を目指す光景にも似て勇壮だった。

3・11 迫り来る大津波、乗り切ろうと更に沖をめざす漁船
間近にせまる津波第一波、15:33

 その波を乗り越えたときの記憶は定かではない。ただ第52清水丸はこの大波みを乗り越えられると直感した。船のデッキ上、ワタクシはどこにいたか、何かにつかまっていたのか。大きな波を乗り越えた後、その大きな波の後ろにいたはずの『かいこう』の船体が完全に波間に消えた。今まで見たことのない大きな波だった。そしてこの波が女川の町を襲ったとき、湾口が狭まる女川の地形を考え、波高はさらに高くなるため町は壊滅、たとえ町立病院の高台に逃げたとしても波はさらに病院の上を行くように思われた。人口1万人が津波に飲み込まれるという最悪の事態を考えていた。生き残ったのはこの海の沖に出た船の上のワタクシたちだけだと思わざるをえなかった。そして西の空が急に雪雲に覆われ、雪が降り始めた。デッキに立って女川の町の方向を見ると雲ではない火事が発生したのか白い煙が上がっているのが見えた。

 携帯はあいかわらずどこにもつながらず、ワンセグでテレビを見ると一瞬、女川の小屋取地区が津波に飲み込まれていく映像が映った。予想は現実のものとなりつつあり、絶望的ではあるがテレビを切り、妻に電話をかける、またテレビを見る、電話をかけるを永遠と繰り返した。とにかく女川の町がどうなっているのか情報がほしかった。

 あたりが暗くなってきたころ、引き潮で町から流れてきた発砲スチロール類が多く目に付いた。そしてしばらくすると家庭用冷蔵庫、冷凍庫、浜にあったであろう番屋の屋根、ひっくり返った船、瓦礫となったものが当たり一面を覆うようになり、船は瓦礫のないさらに沖合いをめざし笠貝島の北側までやってきた。闇の中、女川方面は真っ暗、雄勝方面は空が赤く、火事が発生していることが容易に想像できた。

流れてきたライフジャケット

 そのころラジオからは女川原発で火災が発生しているとのニュースを流し始めた。不安になり双眼鏡で原発を見てみると赤色灯をつけた消防車が発電所内を行き来しているのが見えこの上なく不安になった。
地震は治まることなく続いているようで中越方面でも大きな地震が発生したとのこと、このまま細い日本列島が東北地方から新潟県にかけてぽっきり折れてしまうのではないかととも心配した。
テレビでは気仙沼が火事で町が燃えているとのニュース一色になった。

 『ベガ』『アルティア』と違い、第52清水丸には大量にカップ麺など食料が積んであった。うちの船員には申し訳ないと思ったが、勧められるがままに熱々の味噌ラーメンを食べた。本当に体が温まった。深夜までみなして見張りをしたり、流れてきた大きな家や船などを指差しあってあまりのすごさを語り合った。SさんとH・I専務がひとときとして休まず船を動かしていた。ワタクシたちは2人に温かいコーヒーやアップルジュースなどを持って、時々、操舵室にあがった。深夜になりワタクシとMさんともう一人の名前の分からない船頭さん3人はたたみ2畳もない操舵室の下にある”小屋”のような部屋で折り重なるように仮眠を取った。エンジンの排気塔が小屋の中を通っているので部屋の中は温かかったが、決して寝ぬれるものではなかった。そして夜が明けた。

3月12日、夜明け

つづく

[edit]

433 Storm X Capt.金貨

WELCOME ON BOARD

女川町・潮見表

潮’Sからのお願いです

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